やなせたかしの父と母の年齢差は?母親は再婚していたって本当?

ドラマ

皆さんこんにちは、管理人のEllieです。

2025年度前期のNHK連続テレビ小説
「あんぱん」に二宮和也さんの出演が
決まりましたね。

それに関連して今回は、二宮さんの
演じる役処であり、アンパンマンの
生みの親である『やなせたかし』さん
の父親『柳瀬清』さんとその妻である
『登喜子』さん(松嶋菜々子さん)
について、お2人の年齢差や、どんな
人物だったのかなど気になった
ので
調べてみました!!

また、やなせさんの母親の登喜子さんが
再婚していたという話もありましたので、
そちらも併せてみていきましょう。

どうぞ最後までご覧になっていって
下さいね(*^^*)

スポンサーリンク

やなせたかしの父親について

やなせたかしさんの父親である、
『柳瀬清(やなせきよし)』さん
について、どんなお人柄だったかや、
やなせたかしさんとのエピソードを
ご紹介します。

やなせたかしの父の画像
出典:https://www.1101.com/yanase_takashi/prof.htm

清さんは、香北町在所村朴ノ木(ほおのき)
の柳瀬家の三人兄弟の次男として
生まれました。

清さんは東京朝日新聞社会部に勤める
新聞記者でした。

上海の東亜同文書院を卒業後、
上海の日本郵政に勤め、
その後講談社に入社して編集者を
務めた後、やなせたかしさんが
生まれた翌年に東京朝日新聞に
引き抜かれました。

僕が四歳のころ、父は朝日新聞の特派員として中国に単身赴任しました。そこで母と僕ら兄弟は実家のある高知県在所村(現香北町)に帰ったんです。

ところが、父は中国で亡くなってしまった。まだ子供で、死ということがよくわからなくて、葬儀の時は弟と二人、梅の木の下で遊んでいました。
引用元:https://www.yomiuri.co.jp/

スポンサーリンク

新聞記者として世界中を飛び回り
多忙な生活を送っていた清さんですが、
休日には家族を様々な場所へ遊びに
連れて行ってくれたといい、家族で
富士登山をした写真も残されている
そうなんです。

また、仕事から帰ってくるたびにお土産を
買ってきてくれたというエピソードもあり、
とても家族思いのお父さんであったことが
分かります。

父は、東京朝日新聞社会部の新聞記者でした。新聞記者という仕事柄、帰宅時間は不定で、海外出張にもよく出掛けていました。しかし休みの日にはいろいろなところへ連れていってくれました。記憶には無いのですが、家族で富士登山をしている写真も残っています。
また、父はテニスと水泳の達人で、それは立派な体つきをしていました。性格的には大変優しく、外出のたびにお土産を買ってきてくれたことが印象的です。
私はそんな父が大好きでよくなついていましたが、父は私が5歳の時に、32歳の若さで病死してしまいました。
父は詩と絵と物語を愛する人で、単行本を出版したこともあり、私は今でもそれをたまに読み返します。格調高い文章、また素晴らしい短歌もつくる父を、私はとても尊敬しています。
詩と絵と物語を愛した父。家族全員も読書好き。そんな影響からか、私は幼い頃から絵が大好きな少年でした。内向的でおとなしく、一日中本を読んだり、絵を描いて遊んでいました。絵を見ることが本当に好きで、映画や芝居の看板や、絵本の挿絵も夢中になって見入り、決して飽きることはありませんでした。
私は今日までのいろいろな方との巡り合わせ、また、今の仕事ができていることも、おぼろげな記憶しか無い父に導かれ、守られていると感じることが多々あります。幸運は父のおかげ、と毎日感謝しています。
引用元:https://school.js88.com/

スポンサーリンク

やなせたかしの画像

箱入りじいさん」の94年。 やなせたかし×糸井重里 - ほぼ日刊イトイ新聞
出典:https://www.1101.com/yanase_takashi/prof.htm

こちらは若かりし頃の
やなせたかしさんです。

やなせさんはお父さんに良く似て
らっしゃいますね(*^^*)

やなせさんが漫画家や絵本作家を
目指したのは、お父さんの影響が
大きいようですね!

清さんは、詩・絵・物語を愛する人
だったということで、自ら単行本を
出版したこともあるらしく、そんな
清さんの影響で、やなせさんも読書や
絵を描くことが好きになったという
ことです。

スポンサーリンク

やなせたかしの母親について

では、やなせたかしさんの母親である
『柳瀬登喜子(やなせときこ)』さんは
どんな方だったのでしょうか?

やなせたかしの画像
出典:https://www.yomiuri.co.jp/

登喜子さんは在所村永野の谷内家の
六人兄妹の次女として生まれました。

1924年に、夫である清さんがアモイで
亡くなってから、登喜子さんは手に職を
つけるため、琴・三味線・生け花・茶道
・洋裁など様々な習い事をし、
その中から得意だった生け花と茶道の教室
を開いて家計を支えたのだといいます。

やなせたかしさんは生前、
登喜子さんについてこの様に語っています。

母は華やかな性格の人でした。社交性があり誰とでもすぐに仲良くなっていました。いつもグループの中心にいるような人でしたね。当時にしては派手な装いを好み、田舎では少し目立つ存在でした。

母はアグレッシブな人でしたから、私が小さい頃はしつけが厳しかったことを記憶しています。例えば、食事の時、正座して「いただきます」を言わないとモノサシで叩かれました。また、忙しい母に「本を読んで」とせがむことも多かったのですが、「あいうえお」の一覧表をつくってくれて「これをテキストにして自分で読みなさい」と言われました。そのおかげで私は、小学校入学前には簡単な数学と読書力が身に付いていました。
母はよく私を映画に連れていってくれました。帰りの夜道は眠たくて、母におぶられながら半分程は寝ながら家に帰りました。その時の母の香水の良い匂いは今でも忘れられません。
また、 小学1年生の頃、私は咽頭扁桃(アデノイド)で手術をすることになりました。不安がる私に母は「泣かないで」と言ったので、私は泣くのを必死にこらえました。医者に「こんなに我慢強いお子さんは初めてです」と言われ、後から母に「偉かったね」と褒められた時はとても嬉しく、自分のことが誇らしく感じられました。

引用元:https://school.js88.com/

スポンサーリンク

登喜子さんは夫である清さんを亡くした後、
自分が稼いで子供を養っていかなければと
色々な事にチャレンジして家計を支えて
いたということでした。

とても頼もしいお母さんという印象を
受けますね。

忙しい中でも子供に寂しい思いはさせない
ように、映画などにも連れて行ってくれた
のでしょうか?

厳しいながらも愛情深い人柄だったこと
が伝わってきます。

子供にとって母親は特別な存在です。

大人になってもこんなに鮮明にお母さんとの
エピソードを思い出せることに驚きますね。

親にとっては何気ない毎日や子供との関わり
であったとしても、子供にとっては本当に
特別で大切で、幸せな思い出として残って
いるんですよね。

気になる両親の年齢差は次ページへ↓↓

スポンサーリンク
スポンサーリンク
ドラマ
スポンサーリンク
Ellieをフォローする

コメント

タイトルとURLをコピーしました